【メディア掲載情報】『8・6の雨音 「8・6水害」についての55人のインタビュー』が南日本新聞のコラム「南風録」に取り上げられました。(8/5)

法文学部附属「鹿児島の近現代」教育研究センターで公開されている、1993年8月6日の「8・6水害」についてのインタビュー集『8・6の雨音 8・6水害についての55人のインタビュー』が、2023年8月5日付の南日本新聞のコラム「南風録」で取り上げられました。

コラムでは、「記憶の引き継ぎ」をテーマに、若い人々による本プロジェクトの取り組みを「心強い」と評価しています。

『8・6の雨音 8・6水害についての55人のインタビュー』は本ページの下部からもダウンロードできます。

◎[南風録]血を流しながら幼子を抱き助けを求める母親、無表情で校庭の遺骨を拾う少女…
(掲載日:2023年08月05日 媒体:朝刊 ページ:001)

血を流しながら幼子を抱き助けを求める母親、無表情で校庭の遺骨を拾う少女…。78年前、原爆が落とされた広島市の姿がキャンバスに浮かび上がる。地元の基町〔もとまち〕高校の生徒が被爆者とともに描いた▼原爆に遭った人が年々減る中、被爆の実相を後世に残そうと始まった。学校として取り組んで16年になる。生徒は1年近くかけ、証言者に尋ねては手直しを繰り返す。記憶と思いに寄り添い、「想像を絶する光景」を現実に引き寄せる▼記憶をどうつないでいくか。あす30年を迎える8・6水害も風化が心配される。鹿児島市周辺で土砂災害が次々と発生し、50人近くが犠牲となった。川からあふれ出た濁流は夕方の街を襲った▼泥に埋まった川沿いの光景を思い出す。だが現在の姿とは重ならない。水害後に川が掘り下げられ、多くの橋が架け替えられた。街になじんでいた五石橋の面影もおぼろだ。若い世代が遠い出来事と感じるのは当然かもしれない▼それだけに鹿児島大学生の取り組みは心強い。水害を覚えている55人にインタビューし、ホームページで公開した。「命が大事」「早めの避難を」。体験者の言葉は心に響く▼「もし自分だったら」。かつて描いた広島の高校生は自問を重ねたと振り返る。時代や風景は変わっても、先人の体験に想像をめぐらせ、今にどう生かすか考えたい。そうやって記憶は引き継がれていく。

『8・6の雨音 8・6水害についての55人のインタビュー』

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