【メディア掲載情報】『8・6の雨音 「8・6水害」についての55人のインタビュー』が南日本新聞の特集に取り上げられました。(8/8)

法文学部附属「鹿児島の近現代」教育研究センターで公開されている、1993年8月6日の「8・6水害」についてのインタビュー集『8・6の雨音 8・6水害についての55人のインタビュー』が、2023年8月8日付の南日本新聞の特集「8・6水害から30年 犠牲者を出さないために」の第7回で取り上げられました。

「継承 生の声通じ若者追体験」と題された記事では、本プロジェクトの過程における学生の変化について、近現代センターの日髙優介特任助教のコメントが掲載されています。

『8・6の雨音 8・6水害についての55人のインタビュー』は本ページの下部からもダウンロードできます。

◎連載[8・6水害30年~犠牲者を出さないために]⑦継承/生の声通じ若者追体験
(掲載日:2023年08月08日 媒体:朝刊 ページ:003)

「地震や水害のイメージがある熊本などと比べ、鹿児島は安全だという意識がどこかにある」。鹿児島情報高校3年中江旭〔あさひ〕さん=鹿児島市田上7丁目=は、素直な思いを明かす。
生まれて17年。大きな災害に遭った経験はない。テレビで他県の水害の映像が流れると「本当にこんなことが起きるの。別世界のよう」と感じてしまう。
そんな気持ちを打ち消してくれるのが、父の大介さん(50)。1993年の8・6水害の惨状は、何度も聞かされた。今も大雨の日は自宅近くを流れる新川に近づかない。30年前に川沿いが浸水したという父の話を思い出すからだ。
家族で災害ごとの避難先を話し合う機会も多い。大介さんは親子で語る意義を強調する。「自分自身も記憶が薄れてきている。娘に話すことで互いに防災意識を高められる」

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8・6水害から30年を迎え、体験者の生の声を通じ、若い世代に実感を持ってもらう取り組みも始まっている。
鹿児島大学生63人は7月、体験者の証言をまとめたインタビュー集を作成した。作業に入る前、指導した日髙優介特任助教(44)は8・6を少しでも理解するため甲突川沿いなどにある水害の石碑を見るように伝えた。
現地に赴いたことを報告する写真には、ピースサインを向ける一部の学生が含まれていた。「8・6を知らないからこその行動だろうが、石碑を作った人たちと今の学生の思いはかけ離れていた」
その後手分けし、55人の体験談を聞き取った。学生の変化は「顕著だった」。感想を語り合う時間。体験者に共感する言葉が相次いだ。橋が崩れたことへの悲しさや水かさが増す怖さなどを追体験していた。日髙助教は当事者が発する言葉の重みを実感した。

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被害が少なかった地域でも風化を防ぐ動きは広がっている。同市南部の山田下町内会は8月5日、地元児童を対象に、体験者の話を聞く防災教室を開いた。浸水被害を受けた原良小学校で校長だった藏満規司男さん(88)=姶良市東餅田=が、当時を振り返った。
泥に埋まった夏休みの宿題を懸命に探したり、水害を経て環境問題に目を向けたり-。藏満さんは在校生が残した作文などを読み上げ、訴えかけた。「君たちと同じ世代だよ」
山田下の児童は等身大の被災体験に聞き入った。中山小6年藤﨑帆乃花さんは「今回の話を忘れず、近くの川が増水しそうだったら早めに逃げたい」
企画した末永忠美町内会長(72)は手応えを感じていた。「8・6のような状況はどこでも起こりうる。地元の被災者が少なくても工夫しながら教訓をつなぎたい」(加藤武司、三上真由、中根壮太郎)

【写真説明】8・6水害時の新川の水位について話す中江旭さん(手前)と父の大介さん=5日、鹿児島市田上5丁目(加藤武司撮影)

●ポイント
継承 識者の間で「30年限界説」との言葉が知られる。30年という月日が体験を風化させ、継承が難しくなるという意味だ。東日本大震災では災害を風化させなかったことが被害軽減につながった地域がある。災害の記憶を伝え、過去から教訓を学び防災に取り組むことが大切となる。

『8・6の雨音 8・6水害についての55人のインタビュー』

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